2014年5月20日火曜日

書籍;きものという農業

首都圏の住宅地なのに、道端に桑らしきものが芽吹いていました。土や気候があっているらしい。

アメリカの書籍に、「手織りは農業だ。その土地の気候や土地で育つ作物や動物から繊維や毛を取り、糸にして織る。」という記述があったのを思い出しました。

海外の手織は、西欧の生活に必要なベットカバー、ランチョンマット、テーブルクロス、カーテン、マットなど。日本では、今も着尺が主流。今まで着物を着ることはほとんどなかった私にも、「手織は農業」と同じ考えを見つけたことで、日本の織を身近に感じることができるかもしれない・・・と。


着物という農業 台地からきものを作る人たち 2007年5月30日 初版
著者;中谷比佐子 発行所;株式会社三五館

著者は、女性誌の編集記者を経て、きものが私をどう変えるか」というきっかけからきものを着続けてて40年。きものを切り口に日本の文化、考え方の基本を学び、伝承を進めている”きものジャーナリスト”と紹介されています。


書き出しには、「初夏には天皇陛下が稲をお手植えし、皇后陛下が・・・蚕に直接桑の葉を与え・・・」で日本は農業国家という思いを強くもつとあります。
仏教の影響があるのかもしれませんが、確かに日本では昔から動物の毛を刈ったり、皮や毛皮を普通の生活でまとったという話は聞きません。

実践と体験から生まれた視点ですが、きものの本にありがちな・・・着方、季節や帯とのあわせかたなどとは異なる内容で展開していきます。

養蚕農家のこと。文様、紋様や模様と呼ばれる柄は自然や農耕道具から。季節を見つめる衣替え・・・自然との深いかかわりが書かれています。日本人は、勤勉で、自然を大切にした農耕民族の遺伝子を受け継いでいるはず・・・。

畑の桑を食べて絹を吐き、綿、麻は、畑から収穫され、糸になり、織られ、きものになる。
つむいだ糸が風合いよく織りあがる織機がからだに負担がかかっても大切にされてきた。

「石油を知らなかった19世紀中頃までの日本人は、食糧、衣類、建材、肥料のすべてを『植物』でまかない、依存し、愛し、いろいろなことを学んでもきた。」と書かれています。

現代の日本は、原材料は輸入に頼る自動車とテクノロジーの国。石油の枯渇や温暖化から原発へ。そして、なお止められないという。著者のいう「蚕と稲に込められた日本人の価値観」を思い出すこととで、エネルギーについて新しい道を模索する拠り所や自信にはならないのでしょうか。

いろいろなことを考えさせてくれる1冊です。

そして、なぜ今、手織りをするのか・・・その答えは意外と近くにあるように感じます。

0 件のコメント:

コメントを投稿