今までずっと、「天秤があるから天秤式」だと思っていました。でも、「綜絖・招木・ペダルの重さの釣り合いをとるから天秤式」という説明があるようです。カウンターマーチと呼ばれるこの織機の欧米での説明の和訳が関係しているように思えます。が、肝心な後半部分がない・・・・これは、日本人がカウンターマーチを理解するときに必要な部分なのですが、欧米で手織りをする人にはあまりに、あたりまえのことなので、特に説明する必要がないのかもしれません。つまり、天秤の説明の方が大切なようです。
そんな時に図書館で見つけた本 「図説 手織機の研究」 前田亮著 平成4年5月発行
内容は、改めて紹介するとして、先史時代の織る道具から始まり、写真や資料の図版など数多くの織機が登場します。
天秤式の名称をもつ織機の図版も数多く登場します。中筒浮動型天秤腰機、中筒スライド型天秤腰機、明代中国の天秤腰機、タイ北部メオ族とヤオ族の天秤腰機、朝鮮半島の天秤腰機、出雲の天秤腰機・・・・・。実際に現地でも天秤式と呼んでいるかどうかは、定かではありません。が、腰機、つまり、地機ですから、踏み木はありません。綜絖との釣り合いをとるべき踏木はありません。自ら機械屋と称する専門分野にたけた著者が天秤式という名称を使っているのですから、余談をはさむ余地はなさそうです。
この本によると、荷物を運ぶ道具として「天秤 棒」を使うのは、アジアだけ。そう言えば、アメリカ大陸横断鉄道の建設工事の写真では、アジア系は天秤棒を担ぎ、西欧人は手押し車で土砂を運んでいました。
織機の天秤は、綜絖を上げ下げするという荷役に使う道具・・・つまり、アジアの発想。天秤式織機は、欧米ではなくアジアで生まれたらしいという話になります。
「11章 多綜織機へ」では、高機でろくろや天秤のあるが登場し、次章の「紋織機」では、中国の天工開物の花機や四川省成都の丁橋織機の図版があり、天秤の後方に紋織用の装置も見られます。この織機が欧州に伝わり、ジャカード機の発明の元になったという事ですから、北欧で使われ続けたカウンターマーチとも関連がありそうです。
ろくろ式は東南アジアに多い滑車の派生したタイプ、滑車式は西アジアを中心に分布しており、天秤式は中国の方式で、ろくろのように反対側に綜絖を吊るす形もあるが本来は綜絖は引き合げのみの形と書かれています。
伝播した西欧では、天秤棒の歴史や習慣がないために、カウンターマーチという呼び名になったのかもしれません。米国の本によると 『カウンターマーチは、それぞれの綜絖と踏み木が釣り合って動く織機ですので、制約なしに動かしたい綜絖を上下し、自由に織り柄をデザインして織ることができる織機』 と説明されています。
『天秤式織機は、上部の天秤で、綜絖・招木・ペダルの釣り合をとって経糸の開閉を行う。だから、踏木が軽い』と、織機の歴史を知らずに、天秤の一般知識だけで容易に カウンターマーチ/北欧から輸入された天秤式織機 を説明をしてしてしまうと、中国で発達した紋織物のDNAを引き継いでいる天秤式織機の決定的な特徴が抜け落ちてします。
どこで、上がる綜絖と下がる綜絖の両方を踏み木に結ぶという「改良」がなされたのかは、わかりませんが、どうやら、カウンターマーチのご先祖さまは、中国で発達した綴織などの柄を織る天秤式織機。
さらに、「織機のは改良や発達につれて、経糸のかけ方も違っていく。」という記述も興味深いです。なるほど、アジアで使われているろくろ式のやり方で、西欧でさらに進化をしたと思われる 北欧の天秤式/カウンターマーチ を使うと、中央のコードや糸綜絖の滑りの悪さなど・・・・使い難くて、うんざりするわけです。
大小さまざまな織り柄を多綜絖で織るために発達した天秤式。
使いこなしていますか?天秤式織機。
余談かもしれませんが、フィンランドでは、カウンターマーチは「vipu/てこ」という言葉を用いた名前だということです。北欧では、フィンランドだけがアジア系というお話と関係しているような気もします。
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