2015年9月4日金曜日

日本のこの数十年の手織を整理してみる―2.洋風の始まり

洋装が一時の気まぐれではなく、洋服や洋間での生活が日常であり、普通になった頃かと思います。

手織りのやりかたと洋風の作品も加えた著者の集大成という印象さえする本 土肥悦子著「基礎技術から応用まで 手織り」.昭和51年 が出版されています。 ショール、上着、ロングドレス、カーテン、壁掛け、敷物、ノッティング、オーバーショットやローゼンゴンの技法もあり、当時の 新しい手織り を感じる本です。家に着物を織っていた織機があり、「新しいテクニック」を覚えば、「新しいものがつくれる」は、誰もがやってみたいと思うでしょうから、多くの支持を得たと想像できます。

この本のように、3本ろくろ2段吊りの4枚綜絖織機を使用すると、綜絖の3枚対1枚の動きが可能になり、「洋風の織物が織れる」ことを紹介し広めたのだろうと思います。しかし、この2段吊りは、どうやら日本独自のスタイルで、いわばガラパゴス的(否定でも肯定でもありません。)
「この組織を織るためにどのようにろくろを吊ればよいのか」・・・という工夫から始まっているようで、西欧の「柄や組織を自由に織りだすために、1枚1枚の綜絖を制約なく動かしたい。」とは、織り上がる布は同じでも、発想には大きな違いがあります。本には、組織と織り方の説明は詳しく書いてありますが、欧米の入門書のような系統立てた説明はありません。

このブログを見て、ろくろ式で組織を少し学んだ人は、「すごく組織のことを勉強している。」と思うかもしれませんが、欧米の基本的な手織を初歩から順番に織っているだけです。欧米風の手織りをするにはもっと組織を学ばなければ・・・と組織ばかりを気にしたり、組織と覚えた名前の数が多ければ、それだけで「海外の手織りに詳しい」とか「今風の手織り」と思ったりするのは、おかしなことです。色彩や素材、何を作るかも大切ですから。

さて、組織図の綜絖通し、踏み木順、結び(タイアップ)の3要素は、たしかに世界共通といわれています。組織の使いかた、書きかた、使う記号・・・すべて世界共通。で、手織の場合と工場の場合も、同じく共通と思ったようです。日本の手織は、組織の基本や使い方は工場から学んだようで、国や年代によりあきらかに違うという記号も個人的な好みや先生から習ったからという理由で取り混ぜて使い続けているようです。

次に、使用する糸は着尺1反分で購入することがたぶん一般的だったと思われるのですが、織りたいものにあわせて必要な糸量の計算しかたを考えなければならず、そのためには、主に工場生産で使われていた番手の知識も必要になっただろうと想像できます。

新しい手織をしたいと思った人は、工場での組織図の基礎と使い方をまなび、準備のしかたを参考にし、ろくろの本数を増やし・・・欧米のような布を再現するために、それぞれの人がそれぞれに多くの時間を費やし、試行錯誤と挑戦を繰り返したのだろうと想像できます。ジャカード機で織ったのだろうとあきらめもしたのでしょう。

ろくろ式とは綜絖を上下させる構造が全く異なるカウンターマーチ式の織機なら簡単に織れるということに気づいていたのでしょうか?

「天秤式」の名称で、北欧と同じ構造のカウンターマーチの国産品も登場しました。岸田幸吉著「ウィーヴ・ノート」1978年だけを参考にして、どこまで欧米のような発想で使いこなせたのかは、わかりません。

欧米の織機の使い方や織の基本の違いに気づき、そのまま学べば、柄や組織を作り、純粋に織ることが楽しめたはずです。道具、組織に加えて、多様な素材使い・・・独自の工夫や試行錯誤を大切にしたことで、着物を織らない手織りは必要以上に「高度」で「複雑」になってしまった面もあり、和風のような洋風のような・・・「とらえどころのないもの」に映ることさえあります。
洋服は、ミシンも、布地も、型紙も、海外から取り入れ、日本人の体型にあうように工夫し、日常にとけこんだのですが、手織は、身近な着物の丈を短くし、ボタンやポケットをつけるような工夫をしていたのかもしれません。時代が違いますから、「良い/悪い」と簡単に言うべきことではありません。どのように認識して、どのように受け継いできたのか・・・。

それから約37~39年がすぎ、手織に限らず日常の手仕事は少なくなっていますが、ファッションのように、多様な発展と新しい支持を得られたのか・・・。今の生活にふさわしい「実用的で美しい布」を織るために大切なことは、空白のままのようにも思えます。

※文中誤解や間違いでお気づきの箇所があり、ご指摘やご教授等をくださる場合には、手織りを学んだのは、米国式、北欧式、日本式のいづれなのかと経歴などのプロフィールをお書き添えください。掲載文への訂正、添削はご遠慮ください。

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