この本のp.394に『A Hand Weaver's Pattern Book』の紹介がありました。
『9.リピート模様を作る織機』の章にありました。しかし、欧州から米国に移住と共に伝わった手織機についての説明はありません。
「米国に受け継がれ、描き写された組織をまとめた名著である」と紹介されている『手織のパターンブック; Hand Weaver's Pattern Book』。(正しくは、A Handweaver's Pattern Book)
「代表的な組織デザインを紹介する」として、6柄が載っています。
この本のp.394~396に転載された6柄は、柄、字体、織り方図、写真も、原書そのまま。ブロック数とコメントが付け加えてあります。菱型の変化柄で4枚綜絖で織るクラックル織のMirrored Minaretsも綜絖通しの特徴から4ブロックデザインと書いてあります。
原書は最近になり再販されるほど人気があるのですが、ブロックデザインの実例として使ったようにも見えます。著者に聞いてみたいものです。
この章を読み進むと、「ドイツや北欧から受け継いだブロックデザインがメインの組織の本だったっけ?」と確かめたくなります。しかし、原書の前文には、「掲載されている多くのパターンはオリジナルであり、起源が様々なパターンもある」とあります。
「もようを織る」では、ほとんどのテーマは1ページごとにまとめてあります。そして、順番に続いていくという編集形式ですので、何を意図しているのか測りかねるところがあります。さて、関係する内容を簡単に紹介してみます。
この本の紹介の2ページ前には、「18世紀のドイツの織物業のノートにブロックデザインの下絵が残されている。オーバーショットやダマスクためのだデザインを展開した。右写真の「Wandering Vine」が、このデザイン帳にあり、同じデザインが『手織のパターンブック;Hand Weaver's Pattern Book』にある。」という内容です。
直前ページでは、ブロックデザインに当てはめる多綜絖は、変化綾(オーバーショット)、クラックル、サマー&ウインターなどの織り方で、綜絖の順通しや踏み木を間違えたことで生まれたとして、綜絖通し図があります。そして、これらの組織や織り方が、ドイツや北欧から北米の手織りに受け継がれたというのが説明の概要です。
Mary M.Atwater の著書には、「オーバーショットは古いパターンの名前から、ニューイングランドのピューリタンと共にアメリカに来たと思われる」とあり、「スカンジナビアの本には 同じ織り方が載っているが、パターンは少ししかない。多くの柄はアメリカで生まれたに違いない」と記述があります。A Handweaver's Pattern Bookの前文の「多くの柄はオリジナルである」を裏付けています。
また、「ブロックのデザインは、主に二重織ために描かれ、その後、オーバーショットやクラックルなど他の織り方で使われた。」という記述もあります。「もようを織る」の挿図のパターンも、柄の濃淡の配置や陰影がないことからダマスクやオーバーショットのデザインだとするよりも、二重織用だとすると無理がありません。
これらのことから、ブロックデザインと変化綾(オーバーショット)、クラックル、サマー&ウインターは別々にアメリカに渡ったと考えるのが順当です。これらの織り方は、アメリカで発展し、のちに、欧州や国内で描かれた大きなブロックのデザインも織ったというのが、一般的な見方だと思います。
もし、現代に生きる著者が個人的に「美しい」と感じたから、ドイツに下図があるから、「代表的な」として選んだならば、不快に感じる人がいるかもしれません。
米国の歴史の一部となった手織りのパターンを集めた本なのですから、
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私の織った柄が「代表だ」と紹介されていた「ご縁?」で、以前読んだ本の内容と違うところを書いてみました。
意見のある方は、根拠を明確にして(冷静に)コメントしてください。
※欧米では4枚綜絖の織機は標準仕様です。『もようを織る』の多綜絖は、4枚、8枚です。
※明かに訂正が必要な記述がありますので、記しておきます。
p.395 6行目 誤;織サンプルの裏と表の写真
正;下の写真は、同じ綜絖通しで織ったハニコム(はちす織)
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