手織教室のツアーとか、インテリアコーディネーターの講習会とかの工場見学会・・・・以前は、あったようですが、今も続いているのかはわかりません。どのような商品を、どのような状態で織っているかは、確かに、企業秘密。繊維産業の環境も変化して、秘密度は一段とアップしているように思えます。
個人相手の手織り教室でも、入会したいと見学を希望したら断られたこともあります。新しい織機の実物を見たいと希望したら、無料では対応できないと金額を提示されたこともあります。お行儀の悪い「ひやかし客」が多いから?氏素性のわからない人には代価の支払いを求めるのが、手織りの世界の常識?それとも、企業秘密?
さて、学校では、手織を専攻しスウェーデン製のカウンターマーチを持っているという方に、この2枚の写真をお見せしたとき、
「大きなパターンの柄は、ジャカードの織機でしか織れないと思っていた。」
確かに、国内で織りの組織の専門家といえば、ジャカードの工場で、意匠とか開発を担当している方になるのでしょう。たぶん、この写真や海外の手織りの本にある同じような作品の写真を見せれば、「ジャカードで織れるよ。」と返事が返ってくると思います。
ジャカード機でも織れるだろうし、手織り機のカウンターマーチ式ならば織れる。
1970代には国内でも参考書籍として読まれていたらしい英訳本『Manual of Swedsh Handweaving』。最後の「織と織の道具」の章にジャカード機の写真が載っていますから、手織機だと思いたくもなります。でも、日本で手織り機といえば、普通は、家庭でも使える織機のはず。
国内の手織りの本の「織機の分類」に ジャカード機 が入ってしまったのは、少なくともこの二つの偶然とHand Weavingの解釈の違いのように思えます。
それとも、本当に、個人の家で普通に使えるようなジャカード機があるのでしょうか?
機械化、コンピューター化されたといっても、組織や地厚感、しなやかさなどがイメージできなければ、仕上がりの布のイメージもできないはずですが、日本は考え方が違うのかな?
さて、アメリカの本では、手織りとは・・・という定義について書いてあったりします。個人用の多綜絖の電動の織機(これは機械の特性からするとドビー機の一種?)もありますから、手動/電動では、区分できないようです。シャトルを手で投げれば手織りという考えもあるようですが、では、フライシャトル/バッタンを使った場合は、機械織りになるとかならないとか。結論はともかくとして、いろいろ考えていることに驚くことばかり。
国内で手織をする人は、文章を読むのも書くのも嫌いという方が多いのだそうです。集まって手織りをしながら、日々の暮らしの話をする・・・・織るものや場所は変わっても、昔ながらの日常の風景が手織り機と共に残っているようです。
※意見のある方は、自分の考えとその理由を書いてください。自分の知識や考えと違うからと直接に掲載文の訂正や書き直しをすると、違う内容になってしまう場合がありますのでご遠慮ください。また、手織りを学んだのは、米国式、北欧式、日本式のいづれかと参考としている書籍、経歴などのプロフィールを書き添えてください。投稿は簡潔にお願いします。
京都では、錦の織りを生業として、ジャカードを載せて手織をしている場合があるようです。コンピュータ-ジャカードに置き換わっているようですが、踏み木があり、杼は手で投げることもある・・・。
返信削除日本では、呉服関連の手織りも健在。趣味で織るのが『手織り』とは限らないですね。